顕在化した嫁・姑の問題
前々から嫁・姑問題を懸念していました。
やはり、介護を始めると顕在化。
その兆候は、遠距離介護を始めた頃からありました。
嫁・姑問題の発端
両親の住む実家と我々夫婦の自宅は、車で5時間余り。
介護が始まる前、両親と我々夫婦との付き合いは限定的でした。
盆暮れなど、年に数回の行き来はありました。
もちろん、電話は頻繁にやり取りしていました。
嫁・姑問題は感じていませんでした。
月2回程度の遠距離介護が開始。
母は妻のトイレ掃除を気にし出しました。
何度か妻に嫌みを言ったようです。
「そんなことは私がいつもやってるわね」
結局、妻はトイレ掃除ができなくなってしまいました。
しかし、母のトイレ掃除が不十分なことは一目瞭然。
仕方がないので、トイレ掃除は私の担当に。
私が行う分には、あまり気にならないようです。
文句を言いません。
朝食の大根おろし用に、大根を切って冷蔵庫に入れておきます。
私が大根を切っておこうかというと、「お願いするわ」と母。
妻が言うと、「そんなことできるわね」と母。
その言い方がとてもキツく聞こえました。
嫁・姑問題の顕在化
私の在宅介護が始まりました。
妻は自宅から実家に通って来ます。
月2回のペースで、だいたい2泊3日。
冬場の大掃除は嫌なので、夏季に大掃除をしました。
当然、妻が来ているときに二人で一緒に。
母は夏季の大掃除を快く思っていませんでした。
なんとか説得して掃除を開始。
掃除機で窓のサッシを掃除していた時です。
テレビでは、大相撲が放映中。
「いつまでそんなことしてるだい」
「騒々しくてテレビが聞えないじゃないか」
「どんなに相撲を楽しみにしているか知ってるでしょ」
えらい剣幕で、妻に向いて言いました。
夕食のときに、乾杯をすることがあります。
ある時、母はわざと妻のグラスを避けました。
これには、私も妻も思わず苦笑。
笑い事ではないのですが・・・。
なにか気に入らないことがあったのでしょう。
妻が玉ネギのバター炒めを作ったときです。
両親の歯を考慮して、いつも料理は柔ら目。
「タマネギは炒め過ぎ。シャキシャキしてなければ」と母。
妻の料理に対して文句を言った事は、以前はなかったのです。
最近は何かにつけて料理のあら捜しをしていように思えます。
それも、妻が用意したときだけ。
私が用意したときは、いつもありがたそうに食べます。
両親は以前よりも食べる量が少なくなってきました。
妻が気を利かせて少なめに配膳したのです。
母は座るや否や、「これだけかい」。
親戚の家に行く1時間前、妻は我々の洗濯物を干していました。
「そんなことする暇があれば、庭の草を取っておくれ」と母。
しかたなく、妻と私は出かけるまで汗だくで庭の草取りでした。
洗濯物を干す前、妻はスマホで息子にメールを送ったのです。
両親の前でスマホを操作したのがいけませんでした。
その入力操作が母には理解できず、気に入らなかったのでしょう。
昔、母はこのようなことを妻に言いませんでした。
ひいき目に見ても、母の一方的な言掛かりです。
妻は何にも言わずに母に従っています。
どんなことがあっても、微笑を忘れずに。
しかし、私と2人だけのときは、愚痴・ぐち・グチ。
仕方がありません。妻は強いストレスを感じています。
それを見ている私もたまりません。
母との会話 その1
在宅介護が始まって数か月後。
妻が自宅に帰宅してから、私は母に言いました。
「お母さんは嫁にこういう事を言っているんだよ」
いくつか事例を上げてみました。
「どう思って言っているの」と私。
「これからの生活、家族みんなで気持ちよく過ごそうよ」
最初、母は言った覚えはないと言っていました。
そのうちに、「そういうことを言っているんだね」と母。
話していくうちに、段々と本音が出てきました。
「会社を勤め上げた息子が家事をやっているなんて」
「なんで、嫁がやらないの」
「息子にこんなことさせるなんて、ほんと情けない」
まあ、母としての本音なのでしょう。
嫁ではなく息子が行う家事に強い抵抗感があるようでした。
私は母に言いました。
「嫁がずっと居たら、お母さんの出来ることが無くなるでしょ」
「嫁が毎日居ることを想像してよ、そっちの方が嫌でしょ」
「毎日、嫁と顔を合せるようになったら、イライラは増すばかりだよ」
「息子が主体で親の手助けをする方が、お母さんも気が楽でしょ」
息子介護に対して、母は納得したようでした。
多分、以前から嫁介護を想像していたはずです。
介護は嫁がやるものだという固定観念。
息子介護が現実になると、そのギャップに戸惑ったのでしょう。
嫁には嫁の役目を期待しつつも、嫁がいると目ざわりなのです。
母は、嫁に対する嫉妬もあると言いました。
元気に動き回る嫁に対する女の嫉妬のようでした。
自分はまだまだできるという気持ち。
しかし、実際にはできないもどかしさと、そのギャップ。
嫁の着ている物への嫉妬もあると言いました。
「嫁はいつもきれいな服を着ている」
「私はみすぼらしいものを着ている」と母。
母はこういう感情をコントロールできないようでした。
妻は1枚千円のTシャツを大事に着ているのに。
私は、母に強く言いました。
「そういう気持ちは見当違い、言掛かりだよ」
「嫁はお父さん・お母さんのことを常に気にかけているよ」
「いつも笑顔で明るく話しかけてくれるじゃない」
認知症の患者に怒ってはいけないのが鉄則らしいです。
しかし、こればかりは言っておかないと先々困ると思いました。
多分、私の語気は強かったと思います。
「嫁・姑問題は、俺にとってもすっごく辛いんだよ」
一生懸命になるほど、嫁を援護しているように聞こえるようでした。
「苦労して育てた息子に、こんなことを言われるなんて」と母。
私は、隣にいる父に言いました。
「お父さん、お母さんが嫁にこんなことを言っているんだよ」
「どう思うの」
父は何も言いませんでした。
難聴の父は、聞こえないのか、聞こえないふりなのか。
そういえば、私の子供の頃のことです。
母の嫁・舅姑の問題に、父は見て見ぬふりでした。
うろ覚えですが・・・。
この会話の後、母の言掛かり的な言葉は少なくなりました。
しかし、波があります。
嫁に対して穏やかなときと、険が目立つときと。
嫁が自宅に帰る日の朝、母は妙に機嫌がよく、高テンション。
何ともそれが単純なので、我々夫婦は苦笑するしかありません。
母との対話 その2
前回、母に苦言を呈してから数か月後。
「まだ険のある言葉を嫁に言っているけれど、覚えている?」
その時、父が入ってきたので、話は中断。
父が出て行った後、「さっきの話の続きだけど・・・」。
なんと、母の方から話を始めました。
険のある言葉を言っていることは自覚しているようでした。
「私は嫁に嫉妬しているんだ」と母。
母の不満の一つは、私と妻との会話にありました。
息子夫婦が談笑しているけれど、内容が聞き取れないようです。
この疎外感が機嫌を悪くさせ、嫌みな態度にしていました。
最近、認知症のためか、母の会話がやけにスロー。
また、会話のときに母は聞き返すことが多くなってきました。
少し難聴気味なのかもしれません。
テレビの音も大き目に設定しています。
話しているうちに、20年も前のことで、嫁への文句が出てきました。
よく、こんなことを今まで覚えていると驚嘆。
表面的に問題はなくても、心の中ではいろいろあったようです。
誰でも気に入らないことがあるのは当然です。
母は、それを表に出さないで、嫁とうまくやってきました。
それが、最近は感情のコントロールができないのです。
私は別の話を始めました。
「お母さんも舅・姑にはずいぶん苦労したね」
母は舅・姑、つまり私の祖父母とうまく行っていませんでした。
こんなこと、あんなことがあったと思い出を話しました。
母は、うなずきながら聞いていました。
「自分が嫁として苦労したことを、自分の嫁にもさせるつもりなの?」
私の問いに、そのつもりはないとの返事でした。
私の幼少期の思い出
母と舅・姑(私の祖父母)との仲は最悪でした。
母が私を連れて家を出たこともありました。
母の泣いている姿を思い出します。
子供の私は、悲しい思いを何回もしていました。
小さいときには、ひどい祖父母だと思っていました。
しかし、私が大きくなるにつれて実態がわかってきたのです。
原因の多くは母のワガママに起因していたようです。
両親との距離感
私は、中学を卒業してから結婚まで独り暮らし。
結果的に、両親と一定の距離を保てました。
これは、私の成長にとって良かったと思っています。
結婚したとき、私は母に強い警戒感をもっていました。
当然、母と妻との関係が非常に心配。
私は人一倍、気を配ってきたつもりです。
子供の誕生、入学、卒業などの節目や運動会へ両親を誘いました。
我々夫婦は、盆暮れの年2回、必ず帰省。
帰省しても、遊びで家を空けることはなく、実家で過ごしました。
それが25年間続きました。
諸事情から、妻は自分の実家と距離を置いていました。
妻は自分の実家にべったりではなかったのです。
妻には感謝しています。
私は妻の実家にも気を使ってきたつもりです。
しかし、十分ではありませんでした。やっぱり。
嫁・姑問題の対応
両親を我々夫婦の自宅に呼び寄せなかったのは正解。
嫁・姑問題が、自宅で繰り広げられることが避けられました。
多分、自宅に居る子供を巻き込んでしまったでしょう。
問題を最小限に抑えることができたと思います。
嫁介護ではなく、息子介護も良かったと思います。
嫁介護であったら、母のストレスはより大きかったはずです。
同様に妻も苦労をしたことでしょう。
実家は居心地の悪い環境になっていたはずです。
そして、私は母にはっきりと文句を言いました。
認知症ではあっても、私の言うことを理解しました。
それに納得したかどうかは分かりませんが。
母は認知症の中程度ですが、きちんと分かって行動しています。
おわりに
後は、我慢です。
私は我慢しながら、うまく立ち回るしかありません。
妻には申し訳ないですが、我慢してもらうしかありません。
高齢の両親に、これ以上、どうこう言ってもしかたのないことです。
ただでさえ困難な状況の中です。
さらに嫁・姑の問題も抱えるのは、我々夫婦にとって大きないストレス。
その後、母の言掛かりのような言葉は少なくなりました。
言葉の端々には出てきますが・・・。
(2018年4月25日)
