在宅介護を始める2年前、母の認知症

在宅介護を始める2年前。
父は要支援1、母は要介護1。
我々夫婦は、1か月に1回程度、実家に行っていました。

ヘルパーさんの訪問介護

ヘルパーさんの訪問が週1回から週2回に増加。
服薬の確認、風呂場の清掃、体操指導などが支援内容でした。

両親ともに、他人の来訪に必要以上に気を遣う性格なのです。
ようやくヘルパーさんの訪問に慣れてきました。
母はヘルパーさんとの会話を楽しんでいる様子。
体操も進んで行っているようでした。
父は何もしなったようです。

母の気管支炎と服薬

この頃、母は薬を正しく飲めるという自信がありました。
まったく根拠がない自信。
ヘルパーさんによる服薬の確認は、不本意だったようです。
ヘルパーさんには、薬のことを話題にしないようお願いしました。
薬箱をちらっと見る程度の確認にしてもらいました。

薬箱というのは、プラスチック製の箱です。
介護ショップで買いました。
朝・昼・夜・就寝前の仕切りが1週間分あります。
つまり、4×7=28 の仕切り。
ここに入れた薬を、母が取り出して飲んでいました。
当初、飲み忘れの防止として、非常に役立ちました。
1週間分の薬を仕切りに入れるのも母。
これが、これがだんだん怪しくなってゆきました。

母の気管支喘息の悪化と服薬

母の状態を確認するために、頻繁に電話していました。
息苦しそうな場合、かかりつけ医のKクリニックに電話。
Kクリニックには、いつも臨機応変に対応してもらいました。
この支援で、母の体調が維持できていました。
ほうとうに感謝です。

母の喘息が悪くなる中、息子介護の開始時期に迷いが出てきました。
実家に行った折、ケアマネージャーさんと役場の方と面談。
お二人に元気づけられて帰ってきました。

ある日、我々夫婦が実家に行くと、母は気管支喘息の発作。
Kクリニックを受診して、普段とは別の薬が出されました。
その薬を飲ませて我々は自宅に帰宅。
いつもの通り、「薬は大丈夫、大丈夫」と母。
翌日、Kクリニックの看護師さんから電話がかかってきました。
「今、御両親の所に来ているのですが、薬は何所ですか」
母が処分したのか、まさか1週間分を飲んでしまったのか・・・。
さらに続けて言われてしまいました。
「いつまで放っておくのですか。いつ連れて行くのですか」
確かに、段々と厳しい状況になってきました。

訪問介護の追加

母の定期的な服薬が怪しくなってきました。
そこで、Kクリニックの看護師さんの訪問が週1回追加。
母の代わりに看護師さんが薬箱に薬をセットしてくれるようになりました。
ヘルパーさんの週2回と合わせると、週3回の訪問体制。

早期退職を中止

定年退職まであと1年半。
1年前倒しで早期退職するならば、今が決断の時。

サポート体制を充実してもらいました。
これで、定年までなんとかなるのではないか・・・。

結局、早期退職ではなく、最後の1年間、勤める決断をしました。
我々夫婦にとって、自分たちの経済的自立も大事。
自分たちの老後で、子供たちに迷惑をかけられません。
我々夫婦も、老後のための資金が必要です。
消費をできるだけ抑えて老後に備えるしかありません。
政権が進める個人消費の拡大は、私にとって夢のまた夢。
欲しいものは沢山あるんですが・・・。

定年退職した今から考えると、この決断は滑り込みセーフ。
結果オーライ。
しかし、これはかなり危なっかしい決断でした。
それは、この年の後半に顕在化してきました。

母の認知症の診断と告知

年が明けて2月のある日、ケアマネージャーさんから電話。
「お母さんの様子が心配だから、認知症の検査を受けたらどうでしょう」
実は、我々夫婦もそれを心配してはいたのです。
これまで、かかりつけ医からは特に指摘はありませんでした。
我々も、口には出さず、そのままになっていました。
いろいろな兆候はあったのです。
「加齢によるうっかり、たんなる物忘れ」
このように思いたかったのかもしれません。

改めてかかりつけ医と相談して、専門病院での受診が決まりました。
その手続きに、片道5時間の日帰り。
その2日後、またも日帰り。
「検査する必要はない。自分の身体はよく分かっている」と母。
この強い抵抗に、何と言って説得したか記憶が定かではありません。
何度も何度も電話したことを覚えています。

3月、母は渋々と専門病院に行き、MRIと問診を受けました。
検査終了後、お医者さんは本人を前にして言いました。
「アルツハイマー型認知症です。中期です」
「普通の日常生活をしているということですが、信じられません」
いきなり本人を前にして言うので、私は驚いてしまいました。
母は、黙って聞いていました。

母と我々夫婦の3人で、会計を待っていました。
母になんと声を掛けたらいいのか、わかりません。
お医者さんの説明の仕方に憤りもあり、気持ちの整理がつきません。
時間が過ぎ、12時近くになろうとしていました。
母は、父の食事のことが気になるようです。
「こんな所に来るのではなかった。会計はまだか」
「もう帰ろう。お父さんが待っている」
声はどんどん大きくなってゆきました。
母をなだめましたが、聞き入れません。
ようやく会計が呼ばれて、早々に病院を後にしました。

帰宅後、母は父に向って「なんでもなかった、心配いらないって」。
父には事実を、一応は説明しました。
その後、父も母も認知症の検査を受けたことを忘れてしまいました。

これまで、母は気管支喘息の治療で2か所のクリニックにかかりました。
切れ目なくずっと継続して受診して今に至っています。
それが、いきなり、認知症の中度と診断されました。
なぜ軽度の段階で診断ができなかったのか、気づかなかったのか。
家族がもしやと思ったら、躊躇なく言い出すべきだったのでしょうか。
お医者さんの方から、なかなか言い出しにくいのでしょうか。
「念のため、認知症の検査をしましょうか」とは。

一般クリニックで、なんとか早期の対応をしてもらいたいものです。

認知症は、すぐさま生死に関わる病気ではありません。
しかし、現在、根本的な治療方法がない病気。
認知症の末期は、想像だにしたくありません。
ある意味、癌の告知と同様の問題があります。
家族および本人への告知の仕方には納得いきません。
改善していただくよう、医療従事者の方々に切にお願いします。

母の認知症の治療

認知症の進行を抑制する薬があります。
副作用の有無を観察しながら、用量を変化させねばなりません。
この時の母の環境で、これを行うことは困難でした。
また、根本的な治療でもありません。
関係者の方と相談して、服用をしないことにしました。
つまりは、治療行為は何もしないで様子見です。

おわりに

母の認知症の診断が3月。
この時期に退職を申し出ることは無理。
結果論ですが、認知症の診断がこの時期でよかったのです。
もっと早ければ、早期退職を決めていたかもしれません。

この年、子供が5年務めた会社を退職しました。
連日、深夜まで独り残業。
近くにアパートを借りて対応したのですが・・・。
叱責も繰り返されたようです。
子供の健康、退職、再就職活動。
親が出る幕ではないのですが、心配でした。

もう一人の子供も就職活動中。

これから定年退職までの1年間。
家庭、仕事、そして介護。
公的サービスを最大限利用してやり抜こうと決意しました。
(2018年3月5日)