在宅介護を始める前年、2週間に1回の遠距離介護

母は認知症と診断されました。
診断がおりても、特に母の状態が変わるわけではありません。
母の場合は、服薬などの積極的な治療をしませんでした。
しかし、周囲の捉え方、対応の仕方は違ってきます。
病気だとわかりましたので、その進行も心配。

定年退職まであと1年。
我々夫婦は、土曜日と日曜日を利用した遠距離介護の頻度を上げました。
月に1回から2週間に1回へ。

訪問介護の体制

前年と同様の訪問介護をしてもらいました。
ヘルパーさんは週2回、看護師さんは週1回、計3回。
体調と服薬の確認、薬箱の薬のセット、体操指導、掃除など。
このサポートは、両親にとって、無くてはならない拠り所。
もちろん、我々夫婦にとっても。

両親の日常生活

我々夫婦の実家に来る頻度が増加。
そのため、両親の生活がより細かく分かるようになりました。

まずは、食事。
母はがんばって、三度三度の食事を作っていました。
年を取るにつれて、食べる量は減り、種類も減少。
でも、今思うと、大変だったと思います。
鍋を焦がした跡があっても、我々は見て見ぬふり。
火の始末は、まだ大丈夫だと判断しました。
これが危険だとなったら、両親の2人暮らしは不可能です。

食材の購入は、生協を利用していました。
注文用紙に記入すると、翌週に宅配されるサービス。
やや心配でしたが、注文はほぼできていました。
ただ、同じ品物を繰返し購入したり、足りないものがあったり。
これはしかたがありません。
我々夫婦が実家に来たときに、補っていました。
余っている物は自宅に持って帰り、足りないものは買い足し。

次に掃除。
昔、母は掃除をこまめに行う人でした。
そのイメージがずっと私の頭にあったのです。
母はきちんと掃除をしていると言ってしました。
あまりしつこく聞くと怒りだす始末。
多分、いつの頃からか、簡易モップで拭くだけになったようです。
後に同居してわかったことですが、母は掃除機を使えませんでした。

ヘルパーさんの掃除する場所は、居間、台所、廊下、風呂でした。
寝室の掃除は断っていたようです。
気管支喘息への対応として、寝室の掃除は重要だったのですが・・・。
その時期は、私にも掃除をさせてくれませんでした。
「私がきちんと掃除しているから」と母。
私の頭の中の母のイメージが災いしていました。

洗濯機の操作は大丈夫でした。
ただし、時々混乱がありました。
ヘルパーさんは母にこのようにことを聞かれたそうです。
「洗濯機のスイッチは、どこを押すんだっけ」
我々夫婦の洗濯物も、母は「洗おうか」と言ってくれました。

この頃、お仏壇で、ローソクと線香にマッチで火をつけていました。
また、父はゴミを庭で燃やすのが、半ば趣味でした。
火事の危険があるので、マッチを処分。
ゴミを庭で燃やすことも禁止。
当初、父はかなり抵抗し、文句を言っていました。
その言い方がなんとも子供じみていて、私は失笑。

お仏壇は、ローソクを模したライトに交換。
お線香は取りやめ。
毎朝、父がお水とお茶をお供えしています。
ご飯を炊いたときには、ご飯もお供えします。

お風呂は、両親が沸かして入っていました。
ヘルパーさんが週1回、お風呂を掃除します。
その日、ヘルパーさんが来る前に入浴を済ませていました。
寒い時期は、どのくらいの頻度で入浴していたのかわかりません。

ヘルパーさんから体操指導を受けていました。
父は数回試みただけで、まったく関心なし。
母は熱心に取り組んでいました。
大腿骨の骨折以来、リハビリの体操を経験。
さらに、ヘルパーさんの御指導で、体操の習慣が身に付きました。
息子介護が始まった今、ヘルパーさんは来ていません。
それでも、時間がくれば室内で熱心に体操をします。
この効果は絶大だと思います。

母の健康状態

ヘルパーさんには、訪問時に母の体調を確認してもらいました。
様子が悪いと、介護タクシーでの通院、かかりつけ医での治療。
これは1度や2度ではありませんでした。
この体制があってこそ、母の気管支喘息への対応が可能でした。

時々、不思議なことがありました。
母の腕や足に、擦り傷、切り傷、打撲の跡があるのです。
本人はなにが原因なのか分かりません。
本人が覚えていないのです。

ある日、我々夫婦の前で、母が畳の上で転びました。
手を貸すと、母はようやく立ち上がりました。
なんか呆然とした感じ。
「大丈夫かい」と声を掛けました。
「何が?」と母。
「今、そこで転んだじゃないか、大丈夫かい」と我々夫婦。
「私をボケ扱いするのか」と母は怒り出しました。
母は、自分が転んだことを理解していません。
こういうことが時々あって傷をつくるのだろうと推察します。

おわりに

2週間に1回の遠距離介護を始めて8か月。
いろいろありましたが、大過なく時は過ぎました。
ヘルパーさんと看護師さんのサポートのおかげです。
これで、なんとか退職前の1年間を乗り切れると思いきや・・・。

大きな出来事が起こりました。
(2018年3月6日)