在宅介護に至る10年間、両親の病気と怪我

我が家で介護が必要になった発端。
それは、両親の病気、それに続く怪我でした。

父の脊椎管狭窄症、加齢黄斑変性、難聴

在宅介護を始める10年前、父は80歳前半、母は70歳後半。

父は深夜、腰の痛みに耐えかねて救急車で病院に運ばれました。
脊椎管狭窄症と診断。手術はせずに、1か月間の入院。
この頃、母は元気で、病院までタクシーで面会に行きました。
親戚は、ほんとうに親身になって協力してくれました。
おかげで、我々夫婦は、入院中に2回くらいの見舞いで済んだのです。

これを機に、父は「要支援1」に認定されました。
これが介護保険制度との初めての出会い。
この制度で、実家の浴室、廊下、トイレ、勝手口に手すりを取り付けました。
この手すりは現在に至るまで、両親の生活に不可欠な物となっています。

退院後、父は鎮痛剤を利用して痛みをコントロール。
割と早く普通の生活に戻ることができました。
あれから10年、耐えられないような痛みは出ていません。

これと並行して、加齢黄斑変性のため視力が弱ってゆきました。
これよりもずっと前、「ちょっと歪んで見える」と父がボソッと言ったのです。
それを聞き流してしまいました。
その頃は、年に数回しか実家に帰省しませんでしたから。
もっと早く眼科に連れて行けばよかったと、悔やまれます。
目の注射による治療を受けました。
病気の進行は抑えられたようですが、視力の改善にまでは至っていません。

これに加えて難聴が進み、自由な会話ができなくなりました。
テレビ・ラジオはまっく楽しめません。
現在、補聴器を使っていますが、十分な効果は得られていません。
使い始める時期が遅いと、音を認識する脳の能力が低下してしまうとのこと。
早い時期に、お医者さんから補聴器の使用を勧められて購入したのです。
父は自分に合わないと勝手に判断して使用を中止。
父の医者嫌いが災いしました。

母の気管支喘息

母は気管支喘息の持病がありました。

気管支喘息の発作が起こると、呼吸をするたびにゼイゼイ、ヒューヒュー。
咳き込んで呼吸が苦しくなります。
発作を起こさないために、毎日の服薬は不可欠。

年齢と共に、発作の回数が増えてきました。

母の大腿骨の骨折

在宅介護を始める6年前、母が転倒して大腿骨を骨折しました。
手術をして1か月間の入院。

父は一人での生活が困難だったので、母の入院中は私の自宅で過ごしました。
父は視力・聴力が落ちているため、不慣れな家の中で一人ではまったく動けません。
動こうともしません。
妻が散歩に連れ出したり、話しかけたりと、1日中付きっ切り。
風呂には私が毎日入れました。

私が母の見舞いに行ったのは、1か月の入院中、入退院時を除くと1回だけ。
入院中の母の世話は、親戚にお願いしました。
ほんとうに感謝しております。
親戚の協力がなかったらどうなっていたことやら。

老人の骨折が命取りになることは、私もよく承知していました。
35年前、私の祖父は大腿骨の骨折が原因で寝たきり状態になりました。
間もなく、内臓出血で、偶然に居合わせた私の手を握りながら亡くなりました。

これは母もよく知っていること。
しかし、母はまったく楽観的で、落ち込んだりしませんでした。
これもよかったのでしょう。
経過は順調。
リハビリにも積極的に取り組んだ結果、1か月で退院になりました。

ここから、ヘルパーさんによる週1回の訪問介護が始まりました。
入浴介助が中心だったと記憶しています。
退院直後から、母は自力で入浴できたので、ヘルパーさんの役割は主に見守りでした。

この頃は、両親が自分たちで対外的な対応をしていました。
我々夫婦の関与は限定的。
そのため、この頃の書類は私の手元に残っていません。
記憶も不鮮明。
骨折の回復が非常に順調だったこともあり、私たち夫婦は楽観的に考えていました。

母の認知機能の低下

骨折した翌年、母の介護認定の結果はなんと「非該当」。
よくぞ回復してくれたと喜びました。
ヘルパーさんの訪問介護は終了。

今から思うと、この頃を境に、母の認知機能の低下が顕在化したようです。
緊急連絡用として、母に携帯電話をプレゼントしました。
しかし、使い方がまったく理解できず、2年で解約。

買い物のとき、母はお札や小銭も使っていました。
やがて、レジでのやりとの時間が長くなり、後ろの人に睨まれることも。

母は生協で食品を購入していました。
注文書に記入して、翌週に配達されるサービスです。
それまでは、しっかり使いこなしていました。
それが徐々に、冷凍冷蔵庫には同じような食品が沢山入っていたり、
冷凍食品が冷蔵室に入っていたり、
消費期限切れのパンが冷蔵庫に多量に入っていることも。

私たちが実家を訪ねると、その日の昼食は母が作ってくれました。
これが、薩摩揚げ・大根・人参などの煮物に固定化してゆきました。
鍋に焦げた跡があったり、金属タワシで擦ってメッキが剥がれていたり。

台拭きの汚れが、けっこう目立つようになりました。シミだらけ。
きちんと揉み洗いをしているとは言っていましたが・・・。

このような母の変化を、私たちは老化現象だと捉えていました。
父は視力・聴力の低下もあり、母の変化に気が付かなかったようです。

おわりに

両親の身体機能や体力は徐々に落ちてゆきました。
2人だけの生活はだんだん厳しそうになるなと感じていました。
父はもうじき90歳。
私の定年退職まであと3年。
さらに、定年退職後の5年間は、会社の再雇用制度があります。
今後の方向を決める時期になっていました。
(2018年2月25日)